2011年10月19日水曜日

吉越先生を偲んで ~ 77回 河西 正一

吉越先生を偲んで

私は、77回卒の河西(カサイ)です。
皆さん、OB会にも出席できず、大変ごぶさたしております。
また、吉越先生を偲ぶ会にも主席できず残念です。
現在は、昭和59年より北信州 よませ温泉で小さな宿を経営しております。

吉越先生の訃報は、早中国語課 辻本先生から連絡を頂きました。
辻本先生は現在スキー部顧問で、3年前から中学生大会の際ご利用頂いております。
辻本先生より吉越先生のお加減が良くないことは、お聞きしておりました。
突然の訃報を聞いて、愕然としました。
そんなに悪かったんだ。残念、もう一度お会いしてお話したかった

吉越先生が早中で教鞭を執られるようになったのは、確か74回か75回くらいではないかと記憶して居ります。
ご結婚なさった披露宴のあと、現役たちの過激な祝福(胴上げ、の後ろにたくさんの空き缶付け)にも耐えていただきました。
そして、練習では先生の華麗なテクニックは私たちの憧れでした。
当時全日本バレーは、松平バレーでミュンヘンオリンピック 金メダルでしたからね。
さて 現在では例の“かわいがり”?あるのかな?例の、“ワンマンレシーブ”です。
練習のなかでも指導する側、受ける側、“ワンマンレシーブ”はその日の練習の華でしたね。
その中で、77回部長の黒川(成績優秀 出世頭)は、OBのラストが掛った時の癖を分析して、教えてくれました。
馬場さんは・・・・、大橋さんは・・・、松沢さんは、寺田さんは、小澤さんは等と
そして吉越先生は、ラストが掛ると2回続けて好レシーブがあればすぐ終わる
と分析、他のOBよりも確率が高いので自分の番が吉越先生に当たるように数えたり?
それにしても、“ワンマンレシーブ”は厳しい練習でした。
また、バレー部は成績優秀者が多かったですね。しかし、私は毎年何とかぎりぎりの進級でした。
バレー部にいたから進級して卒業できたと思われます。吉越先生にも大変ご迷惑をお掛けしたのでしょう。
本当にお世話になりました。おかげ様で体力だけは現在でも自信があります。
6年前から始めたランニングは、フルマラソン11戦9勝2敗。
年2回のフルマラソンチャレンジをしております。
一人で田舎の山道を練習するのは楽しい時もあれば、辛いときもあります。
辛くなるといつも「あのワンマンレシーブ」を思い出します。
懐かしいバレー部の仲間の顔が浮かぶと
辛さを忘れ走り続ける事ができるのです。
OBの皆さん“ワンマンレシーブ”をありがとうございます。
吉越先生、またいつかお会いできると思っています。
その時は,またご指導をお願します。
それまで、私の心の中で“ラスト”のない「あのワンマンレシーブ」をお願します。
どうかゆっくりお休みください。
頑張ろう早稲田。
頑張ろうニッポン!

77回卒  長野県山ノ内町在住

河西 正一

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