2011年10月25日火曜日

「偲ぶ会」酒井会長 追悼コメント

84回卒業の酒井と申します

本日はお忙しい中、大勢お集まりいただきありがとうございます。
OB会を代表して御礼申し上げます

吉越先生が顧問をされていたバレーボールOB会を代表いたしまして追悼の言葉を捧げたいと存じます


ただいま、みなさんからいただいたお話からもわかるように、先生はすべてに一生懸命な方でした
我々が現役のとき、試合でどんなに劣勢でも『いいかぁ、最後まで絶対にあきらめるな!』
反対にどんなに優勢であっても『いいかぁ、最後まで絶対に気をぬくなよ!』
『審判がゲームセットの笛を吹くまで何が起こるか分からない、だからバレーボールって面白いんだよ』

人生だって同じ
最後まであきらめない、気を抜かない
このように教えられた方は大勢いらっしゃったのではないでしょう


実は今年にはいってバレー部のOBが3人お亡くなりになりました
86回卒の鹿島田君。彼は私より2歳若いのですが、銀行の支店長を務めていました
それからかつてOB会長をされていた63回の山崎先輩
非常に人徳のある先輩でした
そして吉越先生
3人ともみな病気でお亡くなりになりました
最後まで決してあきらめずに懸命に闘ったのだと思います


しかし、ゲームセットではありません
その思いは永遠です
我々がその思いを引き継ぎ、またその次の世代へと伝えてまいりま

先生、それでいいですよね!

ですからみんなを見守りつつ、これまで一生懸命やってきた分、ゆっくり安らかにお休みください

先生、本当にありがとうございました

2011年10月24日月曜日

「偲ぶ会」ご報告

OBの皆様
先日はお忙しい中お越しいただきましてありがとうございました
バレー部で80名前後、全体で200名前後の来場者がいらっしゃいました

式次第が充実していないので、もしかしたら結構寒めの会になってしまうんじゃないかな~と危惧しておりましたが、完全に杞憂でし
酒井先輩のメッセージも(良い意味で)ベタでストレートでよかったと思います。
私は、ご親族の顔(表情)を常に正面で見ていたので、結構グッときました

奥様はわざわざ先生の『お骨』をお持ちいただきました
生前の吉越先生の我々に対するご遺志と奥様の強い思い入れを感じることができました
偲ぶ会でお別れしたのは、我々だけでなく、先生もお別れしたかったのだと感じました
奥様がお帰りになられる際のほっとした表情、吉越先生との約束を果たした安心感からか、やっと肩の荷を降ろされたようにお見受けしました

バレー部の(俺にとっての)後輩の皆さん、事前にご協力をお願いしていた皆さんはもとより、当日になって突然仕事を引き受けてくださった皆さん、本当にありがとう
ひとえに吉越先生の人徳を通じて、その遺産として我々の結束(いいすぎか)を残してくれたのでは、と本当に思っています
もしかしたら死者とはこういった形で向き合うことが残った人間のあり方としてよい形、といえるのかもしれません

お清め会はバレー部だけ別室でしたが、ちょっとこの場はもう少し工夫できればよかったなぁ、と今は思っています
直接顔や名前は知らなくても、”バレー部”という共通のバックボーンに加え、少なくとも”吉越先生”を通じた間接的な交流はしてきたメンバーであった訳です
こういった機会を自分たちの人生にどう生かす(文字通り)か、は残された我々に与えられた課題だと思います

私見ですが、質はもちろん大事ですが、それ以前にまずは機会を作ることも同様かそれ以上に大事ではないかと思っています
残された我々が、今後の我々をどう形作るか、を決めるのは相当大変なことだと思いますが、まずは集って顔合わせして適当に話すことが、まずは第一歩かなぁ、と思います
今回は大変良い機会であったかと思いますし、この日がなんらかの思い出の日になるのであれば、また皆さんで集って思い出になる日々を設けられればと思います

それでは直近では練習会で、あるいは次回のOB会でお会いいたしましょう




吉越先生のご冥福を改めてお祈り申し上げます

2011年10月19日水曜日

吉越先生を偲んで ~ 77回 河西 正一

吉越先生を偲んで

私は、77回卒の河西(カサイ)です。
皆さん、OB会にも出席できず、大変ごぶさたしております。
また、吉越先生を偲ぶ会にも主席できず残念です。
現在は、昭和59年より北信州 よませ温泉で小さな宿を経営しております。

吉越先生の訃報は、早中国語課 辻本先生から連絡を頂きました。
辻本先生は現在スキー部顧問で、3年前から中学生大会の際ご利用頂いております。
辻本先生より吉越先生のお加減が良くないことは、お聞きしておりました。
突然の訃報を聞いて、愕然としました。
そんなに悪かったんだ。残念、もう一度お会いしてお話したかった

吉越先生が早中で教鞭を執られるようになったのは、確か74回か75回くらいではないかと記憶して居ります。
ご結婚なさった披露宴のあと、現役たちの過激な祝福(胴上げ、の後ろにたくさんの空き缶付け)にも耐えていただきました。
そして、練習では先生の華麗なテクニックは私たちの憧れでした。
当時全日本バレーは、松平バレーでミュンヘンオリンピック 金メダルでしたからね。
さて 現在では例の“かわいがり”?あるのかな?例の、“ワンマンレシーブ”です。
練習のなかでも指導する側、受ける側、“ワンマンレシーブ”はその日の練習の華でしたね。
その中で、77回部長の黒川(成績優秀 出世頭)は、OBのラストが掛った時の癖を分析して、教えてくれました。
馬場さんは・・・・、大橋さんは・・・、松沢さんは、寺田さんは、小澤さんは等と
そして吉越先生は、ラストが掛ると2回続けて好レシーブがあればすぐ終わる
と分析、他のOBよりも確率が高いので自分の番が吉越先生に当たるように数えたり?
それにしても、“ワンマンレシーブ”は厳しい練習でした。
また、バレー部は成績優秀者が多かったですね。しかし、私は毎年何とかぎりぎりの進級でした。
バレー部にいたから進級して卒業できたと思われます。吉越先生にも大変ご迷惑をお掛けしたのでしょう。
本当にお世話になりました。おかげ様で体力だけは現在でも自信があります。
6年前から始めたランニングは、フルマラソン11戦9勝2敗。
年2回のフルマラソンチャレンジをしております。
一人で田舎の山道を練習するのは楽しい時もあれば、辛いときもあります。
辛くなるといつも「あのワンマンレシーブ」を思い出します。
懐かしいバレー部の仲間の顔が浮かぶと
辛さを忘れ走り続ける事ができるのです。
OBの皆さん“ワンマンレシーブ”をありがとうございます。
吉越先生、またいつかお会いできると思っています。
その時は,またご指導をお願します。
それまで、私の心の中で“ラスト”のない「あのワンマンレシーブ」をお願します。
どうかゆっくりお休みください。
頑張ろう早稲田。
頑張ろうニッポン!

77回卒  長野県山ノ内町在住

河西 正一